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川越
川越(かわごえ)とは埼玉県入間の地名。中世には河越とも表記されたが現在は川越で統一されている。城下町として栄え、古くから小江戸と称された。古くからの「川越」は現在の川越市の中心部にあたる。
江戸時代には川越藩が置かれ、その城下町として繁栄を誇った。江戸とは川越街道(中山道の脇海道)や新河岸川の舟運で直接繋がれ、また川越藩の運営にも幕府の重役が関わったりと関係が深く小江戸と呼ばれた。新河岸川の名の由来も舟運のために河岸(船着場)が造られたためである。川越では大火があって以来、江戸を参考に蔵造りの建物を建てた。その街並みは川越一番街商店街として現在でも残っていて、札の辻から仲町の交差点の間で見ることができる。この通りから路地に入れば時の鐘、菓子屋横丁などがある。
一番街の東側ほど近い場所に川越城や江戸城の一部が移築されている喜多院がある。
明治には入間県(埼玉県の前身)の県庁がおかれ、また商都として栄えた。1878年には川越藩の御用商人によって国立銀行の第八十五国立銀行が開業した。この銀行の本店の建物は現在でも埼玉りそな銀行の川越支店として残っている。
町村制が施行されると川越とその周辺の村で入間郡の町として川越町が誕生し、1922年に川越市となる。埼玉県では初めて市となり、当時の人口は約3万人だった。戦後にも周辺の村と合併し、東京のベットタウンとして発展し、2003年には中核市となった。
古くから栄えた歴史のある街であり、現在でも所沢とともに埼玉県西部の中心的な都市となっている。商都の歴史もあり川越駅、本川越駅、川越市駅がそれぞれ隣接していて、駅周辺は蔵造りの一番街などとともに大宮に次ぐ埼玉県内第二の繁華街を形成している。川越駅に乗り入れる川越線はJR線では唯一埼玉県の地名が付いた路線となっている。現在も残る歴史ある風景は高く評価されていて都市景観100選にも入っている。
荒川や入間川などの間にあり、川を越えなければたどり着けない場所であるためこの名がついた。似たような事例としては川越の隣の川島がある(川に囲まれて島のようになっている)。
川越市
川越市(かわごえし)は、関東地方の南部、埼玉県の南西部に位置する人口約34万人の市である。旧入間郡。さいたま市、川口市、所沢市に次いで埼玉県では人口第四位。中核市と業務核都市に指定されている。
概要
江戸時代には川越藩の城下町として盛えた都市で、「小江戸」の別名を持つ。戦災を免れた為、歴史的な街並や寺院などが多く残っており、市内の観光名所には年間約600万人もの観光客が訪れている。
埼玉県では第一の城下町ともあって、廃藩置県の時期には、入間県の県庁所在地であった。また埼玉りそな銀行の前身の一つである八十五銀行の発祥地でもある。
東武東上線・JR川越駅及び、西武新宿線本川越駅を合わせた乗降客数は26万人を超える。川越駅周辺は、埼玉県内では大宮駅周辺に次ぐ第二の繁華街として賑わっている。埼玉県西部を代表する都市である。
新宿・池袋副都心から延びる鉄道路線の多くが川越へ通じており、都心部(特に西側)で川越の文字を目にすることはかなり多い。新宿からは西武新宿線の本川越行きと埼京線の川越行き、東京メトロ副都心線の新宿三丁目からは東上線直通の川越市行きがあり、また池袋では同様に埼京線の川越行き・東武東上線の川越市行きがあり、更には駅付近の川越街道も本市へ通じる。
* 川:荒川、入間川、新河岸川、小畔川、不老川
* 沼:伊佐沼
「川越」の由来
市街地を川が囲む形となっており、川を越えないとたどり着けないことから「河越(川越)」と称されたと言われている。しかしながら古文書等にも伝説として記載されており、はっきりした由来は不明である。
歴史
古代
* 武蔵野台地の北東端に位置する川越は、西北部に入間川が流れており、住環境に適していた。
* 奈良時代には、大陸の文化が伝わり、質の高い土器の生産や鉄器が使用され、農業の生産性が向上。やがて川越にも階層が生まれ、古墳が築かれるようになった。
* 平安時代になると、荘園が形作られ河越、仙波、古尾谷などの荘園を武蔵武士が支配する時代へと移っていった。
中世(戦国時代)
* 中世には河越と表記され、鎌倉幕府の有力御家人である河越氏の本拠地であった。長禄元年(1457年)には上杉持朝の命により、家臣の太田道真・道灌親子によって川越城が築城される。
* 戦国時代には、関東最大の勢力である後北条氏の武蔵国支配の最重要拠点となる。戦国三大奇襲作戦の一つ河越夜戦を始め、多くの戦いの舞台となった。
* 北条家重臣の大道寺政繁によって城下町として整備された。金融商人の登用によって大いに繁栄した記録が残っている。
近世
* 江戸時代には、江戸の北の守りとして重視された。川越藩の歴代藩主には、松平信綱や柳沢吉保などの江戸幕府の重鎮や、親藩が就任した。
* 城下町たる川越は、江戸とは川越街道や新河岸川の舟運(貨物輸送)で結ばれた衛星都市として発展し、「小江戸」と呼ばれた。天海僧正や春日局などにも所縁がある。
近代(第二次世界大戦まで)
明治に入ると、城下町の伝統と地理的な条件により、埼玉県最大の商業都市となり、穀物の中継地や織物、箪笥の生産地として発展した。
* 1871年(明治4年)8月29日 - 廃藩置県により、入間県の県庁所在地となった。
埼玉りそな銀行川越支店(旧第八十五国立銀行本館)
* 1878年(明治11年)11月26日 - 県内唯一の国立銀行である八十五銀行(後の埼玉銀行、現在の埼玉りそな銀行)が開業した。
* 1889年(明治22年)4月1日 - 町村制施行に伴い、川越城下17町・松郷・東明寺村・小久保村・脇田村・小仙波村・野田村が合併し、川越町が発足する。
面積7.46km²
* 1893年(明治26年)3月の大火で市街地が全焼。その経験を元に耐火建築である「蔵造り」の建物が多く建てられ、現在にまで残る趣のある街並みを形成した。
* 1894年(明治27年)川越鉄道誕生する(後の西武鉄道)
* 1904年(明治37年)川越電気鉄道が設置した埼玉県では初の火力発電所からの電灯供給を開始する。
* 1922年(大正11年)12月1日 - 入間郡仙波村を編入し、市制施行(埼玉県下では初めて)、川越市となる。
人口30,359人、世帯数5,414世帯、面積12.36km²
これにより全府県(北海道・沖縄を除く)に市が揃う形となった。
* 1939年(昭和14年)12月1日 - 入間郡田面沢村を編入。
人口37,578人、面積16.68km²
* 1945年(昭和20年)川越空襲。6月、連雀町に爆弾2発が投下され、1人死亡。7月、川越駅が艦載機の機銃掃射を受け数名が死傷した。
現代
高度成長期のあおりを受けて川越は東京のベッドタウン色を強めながら人口を増やしていく。
* 1955年(昭和30年)4月1日 - 入間郡芳野村・古谷村・南古谷村・高階村・福原村・大東村・霞ヶ関村・名細村・山田村を編入する。
人口104,854人、世帯数19,799世帯、面積110.28km²
* 1957年(昭和32年) - 川越市民の歌「われらの川越」制定する。
* 1971年(昭和47年)12月 - 東京川越道路(現関越自動車道)川越~練馬間が開通する。
* 1985年(昭和60年)6月 - 埼玉医科大学総合医療センターが開院する。
* 1990年(平成2年)5月16日 - 川越駅東口前再開発ビルアトレが開店する。
* 1990年(平成2年)5月31日 - 人口30万人達成した。
* 1991年(平成3年)3月 - 川越駅東口再開発事業が完了する。
* 1994年(平成6年)5月1日 - 狭山市・日高市と境界変更。現在の市域となる。
* 1995年(平成7年)7月1日 - 川越市総合福祉センター(オアシス)が開設する。
* 1999年(平成11年)11月11日 - ISO14001を取得する。
* 2003年(平成15年)4月1日 - 埼玉県内で初の中核市に指定される。
* 2007年(平成19年)4月1日 - 川越市路上喫煙の防止に関する条例が施行する。
* 2008年(平成20年)5月1日 - 高階市民センターが開設する。
川越 風俗