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横須賀市
横須賀市(よこすかし)は、神奈川県南東部の三浦半島に位置する都市である。東京湾と相模湾に面する国際港湾都市。中核市に指定されている。
神奈川県南東部に位置する三浦半島の大部分を占め、市域の東側は東京湾(浦賀水道)、西側は相模湾に面する。日本最古の洋式灯台である観音崎灯台が建立される。また東京湾唯一の自然島である猿島も行政区域に含まれる。観光船で行く事もできる。
大楠山は標高242mで三浦半島の最高峰である。展望台に登ると、東京湾及び相模湾を一望でき、千葉県及び太平洋を望める為、ハイキング客が1年を通して全国から集まる。ハイキングコースが充実していて、登山時と下山時でコースを変えて楽しむ観光客も多い。それほど標高が高い山はないが、中央部は山間部や丘陵部(三浦丘陵)が中心で、平地は少ない。そのため古くから海岸線の埋め立てが行われており、現在の中心市街地もかなりの部分が埋立地にある。また、海岸沿いまで山が迫る地形のためトンネルが多いのも特徴で、神奈川県にある道路・鉄道トンネルのおよそ半数が市内に集中している。
政治・経済的都市機能が集中する東京湾岸には大工場や住宅群がひしめきあうが、相模湾岸には自然が多く残され、農業も盛んである。市内中心部から東京都心までは京急本線で約50分、JR横須賀線で約1時間20分。また横浜横須賀道路など地域高規格道路が整備されており、車では羽田空港まで約40分、都心へは1時間程度となっている。
ペリーが降り立った東京湾の入口に位置するため江戸時代から国防の拠点とされ、大日本帝国海軍横須賀基地を擁す軍港都市として栄えた。現在もアメリカ海軍第7艦隊横須賀海軍施設および海上自衛隊自衛艦隊・横須賀地方隊の基地が置かれている。
人口は横浜市・川崎市・相模原市に次ぎ神奈川県第4位となっており(1977年11月以降)、県下では横浜市に次いで2番目に市制を施行した。このため、公式文書で自治体を列挙する際には横浜市・川崎市・横須賀市の順で表記される(政令指定都市→市制施行順に表記されるため)。また横須賀市が県の政令市(保健所・水道事業等は中核市指定前から独自に行っている)ということもあり県から見ればトップ3の一角だが、2003年に中核市となった相模原市が人口増と市町村合併で政令指定都市への移行が確実視されていること、また藤沢市(保健所政令市)の人口急増に伴い、横須賀市は県内人口第5位に転落することがほぼ確実なことから、この情勢にも変化が見込まれる。
基幹産業が重厚長大産業であることや、地形が山がちという地理的要因から今後大きな人口増加は望めないため、「国際海の手文化都市」をスローガンに「交流人口」(仕事やレジャーでの流入人口)の増加、そして「また来てもらえる街」をめざしている。施策として横須賀リサーチパーク (YRP) 開設や高等教育機関(神奈川県立保健福祉大学、陽光小学校跡地への福祉系4年制大学)の誘致、海軍カレー、ヨコスカネイビーバーガー(ご当地バーガー)による街興し、ヴェルニー公園(1万メートルプロムナード計画の起点)、くりはま花の国、長井海の手公園 ソレイユの丘、横須賀美術館等観光施設の整備などが積極的に行われている。
以前「平成の大合併」を機に三浦市から合併を打診されたが、政令指定市に昇格できる見込みも無く、特段の利点が無いということで幹部レベルで断っている。もし三浦半島4市1町(横須賀市、鎌倉市、逗子市、三浦市、葉山町)で合併すれば政令指定市への移行が見込める人口75万規模の自治体になるが、各市町に強いプライドがあり(逗子市は逗子町時代に横須賀市に合併されたが、戦後すぐに離脱した過去がある)、合併を推進していた小林一也三浦市長が1期限りで落選したこともあり、現在周辺との合併の計画は今のところはない。また、三浦半島地域は共通の問題として高い高齢化率、ゴミ処理の共通化などがあって、広域行政施策を展開したいところだが、ゴミ処理の共通化では三浦市と進めていた協議会から葉山町が脱退(三浦市と協定を結ぶと同時に葉山町を告訴)するなど、各市町のプライドの問題があり、一枚岩とはなっていない。
また、基幹産業が景気に左右されやすい重厚長大産業であることが災いして、市民の所得水準が県内では三浦市についで低く(ただし、他都道府県の市町村と比べれば高めの方ではある)、多くの人口を抱えながら市民税の収入が県内でワースト3であり、市の財政は市債と地方交付税に頼らざるを得ない。また過去の市長がいわゆる「ハコモノ行政」を行ったことで市債償還が財政を圧迫しており、市の財政は非常に苦しいものとなっている。ただし、年間数千人単位の人口減にもかかわらず市税収入はYRP効果で法人市民税が増加し、上昇傾向にある。
沿革
* 江戸時代以前については三浦半島#歴史も参照。
約2万年前(後期旧石器時代)に三浦半島に人が住み始めたという説があり、縄文時代に入ると生活の跡である貝塚も市内に散見されるようになる。古墳時代には小規模ながら古墳がつくられ、奈良時代中ごろまでは相模国から上総国へと抜ける古東海道が通じていた。
市内公郷の宗元寺(曹源寺)は県内屈指の古刹であり、三浦郡の行政の中心地であったともいわれる。中世には三浦氏、後に相模三浦氏が一帯を支配するようになるが、戦国時代に北条氏により滅亡、その後徳川家康の領地となる。江戸時代に入ると海上からの首都の玄関口となり、燈明堂や奉行所がおかれた。1720年に浦賀奉行所が置かれて以降は浦賀が商業地として栄えた。
幕末には黒船来航の地となり、観音埼灯台の点灯、横須賀製鉄所や横須賀鎮守府設置、横須賀線の開通など、近代化や国防における要所として発展、県内では横浜市に次ぐ市制施行を果たした。昭和時代に入ると大日本帝国海軍の一大拠点となり、軍事施設を持つ周辺の町村を併合することでほぼ現在と同様の市域が形作られた(逗子町は後に分離)。このため横須賀市では昭和の大合併に伴う市町村合併は行われていない。
戦後はアメリカ軍や自衛隊が駐留する一方東京、横浜のベットタウンとして発展したが人口は1992年5月1日に437,170人と最高数を記録し、以降は減少に転じている。
年表
* 1063年:村岡為通が衣笠城を築き、三浦氏を名乗る。
* 1180年:衣笠城が落ち、三浦大介義明が死ぬ(衣笠合戦)。
* 1247年:三浦氏は北条時頼に滅ぼされるが、佐原十郎義連の子らが北条氏側につき、「三浦介」をつぐ。
* 1253年:日蓮が米が浜に流れ着いたと伝えられる。
* 1518年:新井城が北条早雲に攻められ、三浦氏一族滅亡。
* 1590年:豊臣秀吉が全国を統一し、三浦半島は徳川家康の領地となる。
* 1648年:浦賀と三崎に燈明堂が置かれる。
* 1660年:砂村新左衛門が内川新田の開発に着手。
* 1720年:浦賀に奉行所が置かれる。
* 1842年:大津陣屋が置かれ、江戸湾(現在の東京湾)の守りが固められる。
* 1853年:浦賀沖にマシュー・ペリーの率いる黒船が来航(中島三郎助が乗船)、久里浜に上陸。
* 1860年:咸臨丸、浦賀港を出港。
* 1864年:小栗上野介たちが造船工場をつくるために横須賀の海を調査。
* 1865年:レオンス・ヴェルニーと小栗の尽力により横須賀製作所建設開始。
* 1866年(慶応元年):江戸幕府により横須賀造船所が開設。
* 1869年(明治2年):日本初の洋式灯台観音埼灯台が点灯。
* 1870年(明治3年):西浦賀と東浦賀が合併、浦賀村となる。
* 1873年(明治6年):ヴェルニー、走水の湧水を利用し、造船所への引水を計画する。
* 1876年(明治9年):横須賀村と浦賀村が町制施行。
* 1878年(明治11年):郡区町村編制法施行。現在の市域は全域が三浦郡となり、横須賀町に郡役所設置。
* 1884年(明治17年):横須賀鎮守府が置かれる。
* 1889年(明治22年):横須賀線(大船駅 - 横須賀駅)開通。
* 1901年(明治34年):久里浜海岸でペリー提督上陸記念碑の除幕式が行われる。
* 1905年(明治38年):横須賀電燈株式会社設立。
* 1906年(明治39年):横須賀ガス株式会社設立。横須賀町と豊島町が合併。
* 1907年(明治40年):2月15日、市制施行(当時の人口は 62,876人)。
* 1908年(明治41年):水道が引かれる(市営走水水道)。
* 1916年(大正5年):追浜に海軍航空隊開設。
* 1923年(大正12年):関東大震災で大きな被害を受ける。
* 1925年(大正14年):横須賀線が電化される。
* 1930年(昭和5年):湘南電気鉄道(黄金町駅 - 浦賀駅、現京急本線)運転開始。
* 1931年(昭和6年):湘南電鉄黄金町駅 - 日ノ出町駅開通、京浜電鉄と乗入れ開始。
* 1933年(昭和8年):衣笠村、田浦町を編入。
* 1937年(昭和12年):久里浜村を編入。
* 1942年(昭和17年):東急(同年京浜電鉄を合併)久里浜線(横須賀堀内駅~久里浜駅、現堀ノ内駅 - 京急久里浜駅)開通。
* 1943年(昭和18年):浦賀町、北下浦町、長井町、武山村、大楠町、逗子町を編入。
* 1944年(昭和19年):国鉄横須賀線(横須賀駅 - 久里浜駅)延伸開通。
* 1945年(昭和20年):連合国軍が上陸。
* 1948年(昭和23年):横須賀港が重要港湾に指定される。
* 1950年(昭和25年):旧軍港市転換法に関する住民投票実施。旧逗子町域が横須賀市より分離して逗子町となる。
* 1952年(昭和27年):保安庁警備隊(後の海上自衛隊)横須賀地方隊が編成される。
* 1962年(昭和37年):アメリカのコーパスクリスティ市と姉妹都市になる。
* 1963年(昭和38年):京急久里浜線(京浜久里浜駅 - 野比駅、現京急久里浜駅 - YRP野比駅)延伸開通。
* 1966年(昭和41年):京急久里浜線(野比駅 - 三浦海岸駅間)延伸開通。
* 1967年(昭和42年):横須賀の歌がつくられる。
* 1970年(昭和45年):フランスのブレスト市と姉妹都市になる。
* 1974年(昭和49年):台風8号による豪雨で大きな被害を受ける(市内の死者13人)。
* 1975年(昭和50年):横須賀新港開港。
* 1976年(昭和51年):市の木と市の花が決まる。
* 1979年(昭和54年):オーストラリアのフリマントル市と姉妹都市になる。
* 1981年(昭和56年):群馬県倉渕村(現高崎市)と友好都市になる。
* 1982年(昭和57年):イギリスのジリンガム市(現在のメッドウェイ市)と姉妹都市になる。横浜横須賀道路が衣笠ICまで開通。
* 1984年(昭和59年):新市庁舎と教育研究所ができる。
* 1987年(昭和62年):市制80周年記念として、倉渕村に「はまゆう山荘」ができる。
* 1988年(昭和63年):久里浜緑地(現くりはま花の国)コスモス園開設。
* 1989年(平成元年):「核兵器廃絶・平和都市宣言」をする。
* 1990年(平成2年):横浜横須賀道路衣笠IC - 佐原IC間開通。
* 1992年(平成4年):本町山中有料道路開通。平和モニュメントができる。
* 1993年(平成5年):ベイスクエアよこすか、総合福祉会館ができる。
* 1994年(平成6年):2月に横須賀芸術劇場、5月に湘南国際村開設。
* 1995年(平成7年):よこすかの新しいイメージを考える協議会が「国際海の手文化都市」を提言。
* 1997年(平成9年):「国際海の手文化都市」を都市像とする横須賀市基本構想を策定。横須賀リサーチパーク (YRP) オープン。
* 1998年(平成10年):イギリスのメッドウェイ市と姉妹都市になる(4月にジリンガム市とロチェスター市が合併しメッドウェイ市となった)。かながわ・ゆめ国体秋季大会開催。
* 1999年(平成11年):商工会議所、海上自衛隊と協力して「カレーの街」を旗揚げ。
* 2000年(平成12年):三浦縦貫道路第1期区間開通。
* 2001年(平成13年):湘南新宿ライン久里浜駅まで延伸。中核市に指定される。横須賀市市民憲章制定。臨海公園をヴェルニー公園として改修。
* 2004年(平成16年):湘南新宿ライン乗り入れ廃止。
* 2005年(平成17年):長井海の手公園 ソレイユの丘完成。
* 2007年(平成19年):市制施行100周年。横須賀美術館完成。
* 2009年(平成21年):横浜横須賀道路佐原IC - 馬堀海岸IC間開通
国の施設
「官公庁ゾーン」と位置づけ、新港埠頭交流拠点計画として新港埠頭に「新たなまち」を誕生させる計画。これは、警察署や裁判所など市内に点在する官公署を同地に移転する整備計画。さらに、地場産野菜や魚介類などの販売所や、海軍カレーが食べられる飲食店などの商業施設の設置。「交流拠点」として、新たな人の流れを生む狙いがある。新港埠頭交流拠点の敷地面積は約2.6ヘクタール。市ではこのうち南側の約2ヘクタールに官公署を集約する方針。
具体的には、税務署などの国の行政機関を合同庁舎として集約するほか、裁判所の移転。県の施設では、横須賀警察署の同地への移転。県財産管理課ではすでに、用地確保の意向を市に伝えたとしている。市企画調整課では、これらの移転により市民の利便性向上を狙うとともに、築30年以上経過し、老朽化した施設は建て替える時期に来ているとしている。
一方、北側約0.6ヘクタールは「賑わいゾーン」として、市は商業施設を設置。横須賀の土産物や海軍カレーを販売する商店が入る見込み。同地に大型の観光バスも停められる駐車場も整備。これまで市議会でも取り上げられてきた同埠頭交流拠点計画。
* 横須賀刑務所
* 久里浜少年院
* 陸上自衛隊武山駐屯地、久里浜駐屯地
* 海上自衛隊自衛艦隊司令部、横須賀地方総監部、横須賀教育隊
* 航空自衛隊第1高射群第2高射隊
* 技術研究本部艦艇装備研究所久里浜地区(旧・第5研究所)
* 海上保安庁東京湾海上交通センター、横須賀海上保安部
横須賀 風俗