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越谷市
越谷市(こしがやし)は、埼玉県の南東部にある人口約32万人の市。日光街道の江戸から数えて3番目に位置する宿場越ヶ谷宿で知られる。さいたま市、川口市、所沢市、川越市に次いで埼玉県では人口第5位。特例市、彩の国中核都市、業務核都市に指定されている。
2003年4月1日に特例市へ移行した。現在、中核市への要件を満たしている。
越谷市は、中核市への移行を検討した結果、現段階においては、地方交付税制度の見直し等による財政負担など、メリットよりデメリットが上回るものと判断し、現在取り組んでいる行政改革を最優先課題として取り組むこととし、地方交付税制度や市町村合併の動向を考えあわせて、改めて判断するとしている(平成21年5月現在)。ただし、中核市入りを中止したものではなく、中核市入りの計画自体は引き続き行われている。
「国民健康保険発祥」の地
旧越ヶ谷町が昭和10年に発足させた一般住民を対象とした日本初の健康保険制度「越ヶ谷順正会」は昭和13年の国民健康保険法(旧法)施行よりも3年早く発足している。このため越谷市は「越ヶ谷順正会」を「国民健康保険の発祥」と称しており、国民健康保険法施行10周年を記念して、昭和23年には「越ヶ谷順正会」を顕彰する「相扶共済の碑」が現在の市役所敷地内に立てられている。
この制度は、昭和初期の世界恐慌に加えて越ヶ谷町が県立高等女学校(現在の越ヶ谷高等学校)を誘致したことなどから町の財政が逼迫したことがきっかけと言われている。町の財政建て直しと滞納税を一掃するために有志が無尽講を設立した。そして病気が貧困の大きな原因となっていることから、その無尽講の利益で設立された。当時、勤労者を対象とした健康保険制度はあったが、農漁業、自営業者を対象とした健康保険制度はまだ無かった。
地理
地勢
* 埼玉県の南東部に位置する。
* 鉄道は、東武鉄道伊勢崎線が南北に縦断、JR東日本武蔵野線が東西に横断している。
* 元荒川、中川、綾瀬川、古利根川、新方川(千間堀)、逆川など、多くの河川が流れていることから、「水郷こしがや」と呼ばれる。
* 市域はほとんどが平地であり、山林、原野はほとんどない。
* 市街地の中心は新越谷駅・南越谷駅周辺と越谷駅周辺とに分散している。近年、商業の中心は伊勢崎線、武蔵野線の乗換駅である新越谷駅・南越谷駅周辺に移行しつつあるが、2008年に越谷レイクタウン駅とその駅前に日本最大のショッピングセンターであるイオンレイクタウンが開業したため、商業の中心がさらに移行する可能性が大きくなっている。一方、市役所と公民館が駅近くで隣接している越谷駅周辺は行政の中心地となっている。
* 天然記念物に指定されている「越ヶ谷のシラコバト」は、かつては越谷市付近にのみ生息していたが、近年は生息地が広がっている。
河川
元荒川、中川、綾瀬川、古利根川、新川、平新川、間久里川、新方川、葛西用水路、四条排水、八条用水、谷古田用水、末田大用水、須賀用水、出羽堀
湖沼
* 大吉調節池
* 大相模調節池
歴史
市町村名の由来
「越ヶ谷」は「越(腰)の谷」の意で、「こし」は「山地や丘陵地の麓付近」の意、「谷」は「低地」の意であると思われる。つまり、「大宮台地の麓にある低地」を指す地名であると推測される。
「越谷」の地名は、1954年、合併により越谷町が成立した際に、合併前の越ヶ谷町と区別するために「ヶ」を取って「越谷町」としたことに由来する。したがって、旧越ヶ谷町にあたる越谷市の中央部の地名は、現在「越谷市越ヶ谷」であり、それ以外の「こしがや」が付く地名は、越谷町成立以降に出来た地名なので、「南越谷」「北越谷」「東越谷」などのように「ヶ」が入らない。同様の理由で、「越ヶ谷高等学校」には「ヶ」が入り、「越谷北高等学校」「越谷南高等学校」などには「ヶ」が入らない。
変遷
* 1897年12月11日 - 合資会社鈴木銀行が南埼玉郡越ヶ谷町に設立される。
* 1898年11月29日 - 越谷貯蓄銀行が南埼玉郡越ヶ谷町に設立される。
* 1954年11月3日 - 越ヶ谷町・大沢町・新方村・桜井村・大袋村・荻島村・出羽村・蒲生村・大相模村・増林村が合併し、越谷町となる。
* 1955年11月3日 - 草加町から井原・麦塚・上谷が分離し、越ヶ谷町に編入される。
* 1958年11月3日 - 市制施行により越谷市
越谷 風俗