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久喜
久喜市(くきし)は、埼玉県東部にある人口約7万1千人の市。
* 戦国時代には二代目古河公方足利政氏が1518年(永正15年)に現本町六丁目にある館に隠居し、1519年(永正16年)この館を寺院に変え甘棠院と号す。また政氏は1531年(享禄4年)年に没するまでここで余生を全うする。
* 江戸時代には三河譜代米津政武がこの地に陣屋を設け久喜藩が立藩される。日光街道への道筋や、常陸・下総方面への道が通じていたことから産業が発達し、職人や商人の街として、 物資流通が盛んに行われる。
* 1885年(明治18年)7月16日 - 日本鉄道第二支線(現東北本線)久喜駅が開業する。
* 1889年(明治22年)4月1日 - 町村制施行に伴い、久喜本町・久喜新町・上早見村が合併し、南埼玉郡久喜町となる。
* 1898年(明治31年)3月1日 - 久喜銀行が設立される。
* 1899年(明治32年)8月27日 - 東武鉄道伊勢崎線の開通により久喜駅が開業、東北本線と東武伊勢崎線の乗換駅となる。
* 1954年(昭和29年)7月1日 - 久喜町・太田村・江面村・清久村が合併し、久喜町となる。
* 1971年(昭和46年)10月1日 - 市制施行により久喜市となる。
平成の大合併における動向
* 2003年 - 久喜市、北葛飾郡鷲宮町、(後に幸手市も合併の意向を示し、協議に参加することになった。)による合併協議会が設立され、新市の名前は公募により、「桜宮市(さくらのみやし)」に決定したが、住民投票で久喜市のみが反対票が賛成票を上回り、合併協議会は解散という形になり消滅した。
* 2007年 - 久喜市、鷲宮町、南埼玉郡菖蒲町・白岡町の1市3町による合併協議会が設立され、(後に北葛飾郡栗橋町が参加の意向を示し、協議会に参加した)、協議の結果2007年12月12日に(蓮田市と合併する意向を示し、2007年12月6日付で合併協議から離脱した白岡町を除く)、久喜市、鷲宮町、菖蒲町、栗橋町の1市3町で、合併新法の期限内に合併を行うことで合意した。各市町で実施された合併に関する住民意向調査では全市町において賛成の過半数が確認され、事実上合併は決定した。合併方式は編入合併ではなく新設合併で、新市名は「久喜市」、市庁舎の位置も現久喜市役所を使用する。また、この合併協議には幸手市も参加の意向を示していたが、合併新法の期限に間に合わないことを理由に拒否した。尚、町名、字名については、久喜市、栗橋町、鷲宮町は原則現行どおりとし、菖蒲町は「菖蒲町○○」、久喜市、栗橋町、鷲宮町にそれぞれ存在する「東・西・南・北・中央」は「旧市町名+〇〇」(例、久喜市北→久喜市久喜北、栗橋町中央→久喜市栗橋中央)となる。
* 2009年5月28日に1市3町の首長が合併協定書に調印。2010年3月22日、新たに「久喜市」が発足することが決まった。
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